この文章は菅 一(すが はじめ)氏によって書かれた文を転載致しました。
戦前・戦中・戦後の蓄針について当時の様子を知ることが出来ます。
また、著者の実体験を元にした各蓄針のコメントはリアリティーが有ります。
 
 「私の蓄針遍歴 蓄音機の針に就いて     菅 一」
 
   鋼 鉄 針
 最もスタンダードな蓄針は鋼鉄針である。その寿命は短く、一面毎に取り換えねばならない。それを怠ると再生音が歪むし、レコードの損耗がひどくなる。(コロムビア・ラウドの蓋を開けると”針は一回だけ使用”つまり一面毎に取り換えるようにと、注意表示がある)

 鋼鉄針には、各メーカー品とも、普通三種類あって、ラウド・トーン、ミディアム・ト−ン(中音用)、ソフト・トーンと名付けられていた。ラウド・トーンは大く短かく、中音用は長さも太さも中位、ソフト・トーンは長さはミディアムと大差無かったが、最も細い。
 手捲き蓄音機には増幅装置が無く、音量の調節は出来ない。ホーンの開口部の蓋を閉じるより外は無いのだが、蓋を閉じたのでは、まともな鑑賞は出来ない。そこに、三種類の針の必要が生まれて来たのである。
 ラウド・トーンは「高音用」と呼ばれていたが、この呼称は誤解を生じ易い。此の針が音のピッチ(周波数)を高めるのではない。再生者が大きい針なのであるから、強いて日本流に名付ければ「大音用」であるべきだろう。然し此の呼び方は一般的ではないので、ラウド・トーンの呼称を採る。この針は太く短かいので音溝から拾い上げられた振動エネルギーがサウンドボックスの雲母又はジュラルミンの振動板に到達する間に於ける減衰が、比較的すくないので、再生音量も大なのである。
 ソフト・トーンの場合は(低音用という呼称は、同様の理由で採らない)、其の逆で、針が細く長い為に、振動エネルギーが減衰し、振動坂の振幅が小さく、再生音量は小となる。中音用(此の呼称には抵抗を感じない)は、其の中間的存在である。レコードが受ける摩耗の度合も亦、ラウド・トーンの場合には大で、ソフト・トーンはレコードを傷める程度が軽微である。
 二十グラムから三十グラム程度のピックアップの場合は、鋼鉄針がSPレコードに与える摩耗度はそれ程でもないだろうが、二百グラムのサウンドボックスの場合は、とくにラウド・トーンを使用した時のレコードの摩耗度は烈しい。フォルテやフォルティシモで音溝の揺れが大きい箇所では、特に傷みが烈しく、レコード面に摩耗を示す白い線が生ずるのである。一度摩耗の印が発生すると、其の後針が通る度毎に「コリコリ」という耳障りな雑音が発生する。それで多少再生音に不満があっても、レコードを大切にするファンの多くは竹針に走ったのである。
 戦前の日本コロムビアの中音用鋼鉄針には、非常に興味のある形をしたものがあった。我々はそれを「鰻のエラ」と称した。言葉で説明するのは難しい。
 此のエラが如何なる効果をもたらしたのか小生には不明である。御存じの方の御教示を得たい。
 SPレコードの袋には、屡々蓄針の広告が記載されていて、レコードと同じ銘柄の針を使用する事を勧めていた。ビクターのレコードにはビクターの針を、コロムビアのレコードにはコロムビアの針を、ポリドールにはポリドールの針を使用するのが最適であるという文句であった。
 つまり、針先の形状が、レコードの音溝にピッタリーする様に作られているという主張てあった。然し、同じ銘柄の針であっても、ラウド・トーン、中音用、ソフト・トーンでは、針先の形状はそれぞれ異なっていたから、必ずしも信用する必要は無い。
 また同じ銘柄のレコードであっても、年代に依って音溝の幅が異なる事があった。一九三八年九月十二、十三日に録音されたワルター・LSOの数枚のレコードと、一九三九年四月二十六日録音のワルター・LSO(共にHMV)のレコードの音溝の幅が、肉眼で見ても異なっているのは其の一例である。
    竹  針
 竹針は材質が軟らかいので、レコードの音溝から拾い上げた振動が、十分にサウンドボックスの振動板に伝わらないので弱くなるが、同時に雑音も大部分消えるので、上品な落着いた音であると、一部の愛好家に珍重された。
 現在七十歳以下のレコード・ファンの中には「竹針は戦時中の代用品」と思い込んている人が、少なからず存在している様であるが、それは誤りで、竹針は旧吹込時代から存在していた。
 昭和初期、小生が幼児であった頃、父が爪切りの様な形と、鋏状のカッターの二種類を使用していた事を記憶して居る。鋏状のカッターにも、竹針の先を挿入する切り口が中程にあるのと、先端にあるのとの二種類あった。前者の方が竹針を切り易かったし、また耐久性にも富んでいた。
 勿論、支那事変中に物資統制令が出て、鋼鉄針は禁制品となり、それ以後竹針の供給が増加した事は事実である。竹針カッターも大量に販売されたが、鋏状のものばかりで、爪切り型は殆んど見られなかった。恐らく、後者は、より多くの金属材料を要したからてあろう。

昭和十六年初め頃、日本ココムビアは黒色の合成樹脂製のカッターを発売した。これ
も物資節約の国策に沿ったものと言える。 一口に竹針と言っても、色々な種類のもの
が発売されたのてある。
 普通は表皮を剥いで固いサイドをセンターに向けてあるのだが、中には戦時中に発売された「スパロー」竹針の様に、表皮を剥かずにサイドを外側に向けたものもあった。小生は、溝の左右の摩耗が等しくなる様に、他の銘柄の竹針と交互に使用した。此の方法が効果的であったかどうかは不明である。「スパロー」竹針が無くなると、剣道の竹刀の古いのをもらって来ては、固いサイドが外側に向いた竹針を自分で作ったが、油を染み込ます事を知らず、耐久性の乏しいものてあった。
 手製の場合には市販ものよりも寸法の長いのを自由に作れる。空襲警報が解除され、自分がまだ生きて居る事を確認する為にレコードをかけたが、その時には再生音の小さい手製の長い竹針を使用したのである。またホーンに風呂敷等を詰め込んで、押入れの中でレコードを聴くのであった。うっかり大きい再生音を出して外に聞えでもしたら、それこそ大変な事になるからであった。
 戦前の日本ビクター及びコンゴーの竹針はどういう理由か知らないが、固いサイドのレコードヘの接点に近い所に切込みがあった。
 戦前からあった竹針で最もスタンダードなものは「アポロン」で、他の竹針が紙袋又は紙の箱に入っていたのに対し、「アポロン」のみは缶入りであった。コロムビアの鋼鉄針の缶と同様の形と寸法であった。
 昭和十五年頃には、アポロン「乾燥」竹針と称し、円筒形の缶の底に乾燥剤を蔵し、黄色のスタンダード針とは異なり、着色をしていない”高級品”を発売した。発売当初は全製品太めで、乾燥が行届いていた為か保ちも良かったし、音量も比較的豊かであった。
 然し、昭和十八、九年頃になると、ブリキの缶が同型の紙箱にとつて代られ、其の頃には細みの針が多く、乾燥も不十分で、保ちも再生音量もスタンダード針以下になった。スタンダード針は、昭和十七、八年には見られなくなった。
 昭和十五年頃に現れたコロムピア竹針は金と紫に彩られた紙箱に入っていたが、表皮を剥かないまま油脂を染み込ませてあった。アポロン・スタンダードとコロムビアは共に黄色がかっていたのは、染み込ませた油脂の種類に依るものと想像する。
 前記の「スパロー」竹針には、油脂を染み込ませてあったかどうかは不明である。着色もしてなかったし、そればかりか保ちも良くなかったからである。
 「コンゴー」竹針は、緑色に着色してあつた。
 昭和十六年初めに、日本ビクターは、それまてのコンヴェンショナルなものとは全く異なった竹針を発売した。堅い皮の部分をレコードとの接触点に持って来て左右の摩耗を等分にするという謳い文匂であった。
 また特殊の樹詣で加工してあるので保ちが良いという事であったが、実際は「スバロー」と変わらない程、或いはそれより保ちか悪く、静かなヴァイオリン又はチェロの独奏レコードにしか使用出来なかった。三十グラム程度の電蓄のピックアップを用いれば、もう少し保ちは良かったかも知れないが、根元まで三角のままの所謂”サウンドボックス用”の針であったのだから、二百グラムの重いサウンドボックスを使用したからと云って、その耐久力の乏しさは当方に責任があったのではない。
 今、サウンドボックス用という言葉を使ったが、電蓄用竹針というのもあって、ピックアップの丸い挿入口に合う様に、竹針の根元を丸く削ったものがあった。
 サウンドボックスの場合、挿入口の形状が三角形(丸形のものも無くはなかった)なので、針はピッタリ固定し易かったが、電蓄用では正しい角度を保つ事が困難であった。
 アポロン「乾燥」竹針の場合、サウンドボックス用のデザインには赤色を使用し、ピックアップ用には緑色を使い、色彩によって区別してあった。後期日本ビクター竹針の場合、赤と青であったと記憶する。
 戦後になって、初めてイキリースHMVの竹針を入手したが、これは全く素晴しい製品で、太く長い,戦前のアポロン「乾燥」竹針を想起させたのである。
 戦時中に、戦前のフランスHMVの竹針を発見して購入したが、これはスバロー、後期日本ビクターと負けず劣らすの粗悪なもので、レコードに接触する稜線がささくれ立ったものがあって、もう一度ナイフで削り直さねばならない事も屡々であったし、しかも比較的細く短かった。

 竹針で数十回かけたレコードは、見たところ新品同様に無傷に見えるが、サファイア針を通すと、溝の両面に針先が密着せず、音溝の中で踊る。つまり、溝が竹針に依って拡げられているという事がよく言われる。若し、それが事実であれば、其の責任は、重いサウンドボックスにあるのであって、竹針には無い。軽いピックアップであれば、たとえ竹針を使っても、其の様な事は起らないと考えられるからである。
   特   殊   針
 一面毎に先端部をカッターで切る作業が、一般には面倒がられて、竹針の使用はレコードを大切にする洋楽ファンに限られていた。では、一般の人達はどんな針を使ったのだろうか。

 持久針 
 鋼鉄針が製造禁止になると、各社はこぞって十回針とか長時間針を製造し始めた。鋼鉄針にクローム加工したものてあるが、これらは「特免」と称して発禁を延期されていた。青く塗ったピクターのラウド・トーンは、せいぜい二、三回しか保たなかった。黄色の中音用はそれでも六、七回は保った。
 「ナポレオン」は、数種類の同種のものを作ったが、用途によって色を変えていた。高音用、中音用、長時間用、洋楽用の四種の中で、洋楽用が優れていた。
 「パロット」のも良かった。
 最も優秀であったのは、戦前の日本コロムビアの長時間針で、扇形の缶に収納されていた。「ラウド・トーン」と「ミディアム・トーン」の二種類があって、特に後者の場合、重いサウンドボックスでかけても十二、三枚保った。ピックアップてかけると、其の数倍は保ったのではないだろうか?これはオートマティック・レコード・チェンジャーの為に開発されたものてある。同じコロムビアでも十回針はたいして良くなかった。

 陶 針 
 長時間針が姿を消した後、一般にはどんな針が用いられたのか、普通の流行歌や軍国歌謡のレコードには、竹針は不適て、鋼鉄針でかけちらした、すれたレコードだけてなく、新品でも無理だったし、其の様なファンは竹針を使用しようとはしなかった。
 そこで生れ出たのは、陶器製の針であったが、其の後現れた両端針の方が長時間使用可能であったので、陶針の生命は短かかった。針としての効果は鋼鉄針と竹針の中間、やゝ鋼鉄針寄りと言えよう。但し、最大の欠陥はもろくて折れ易い事で、ビックアッブやサウンドボックスに挿入した時に、捻子を強く締め過ぎると中で二つに折れたのである。またフォルティシモの箇所て針の先端が折れる事も起った。改良されれば良い物になったろう。

 両端針 
 戦争が続くにつれ、物資は窮乏を極め、昭和十八年頃には両端針という針が出現した。アルミニウムの筒の両端に細い金属線を突っ込んだもので、レコードを傷める事甚だしく、大切なレコードには使えなかった。一度捻子で固定すると、金属線が磨耗して無くなる迄、それを外す事は許されなかった。少しでも位置がずれると、研ぎすまされた鋭い角度を持った針先が音溝の中を削るからである。此の事は、長時間用針にも言える。

 センカイ針 
 一番ひどいのはセンカイ針と称する針であった。「此の針を使用すると、レコード面は新品同様に生き返ります」という効能書を付したところなど、まるで詐欺である。「センカイ」という名称は、線解と千回にひっかけたものてある。
 レコードに接触した部分が磨耗すると、輪を引っ張る。すると、コイル状に巻かれた金属線がー廻り分ほどけて、レコード接触部分が新しくなる。理屈は、最近流行のぺーパー・カッターと同じである。此の針のお蔭で、大切なレコードを一枚駄目にした経験を持って居る。

 棘(とげ)針 
 比較的細目であるが、竹針よりも粒子が細かく、よく詰っている為に、竹針よりずっと音の伝導に於いて優れている。特殊な削り器で、一回一回先端を削ることが出来るので、一本で数十回使用できる。その点は竹針に類似している。現在でも、二、三の高名なレコード愛好家は、棘針を愛用しておられる程、棘針は手捲き蓄音機でSPレコードを聴く場合に適しているのである。

 ガラス針 
 一度も購入した事は無かったが、店頭で他の入が試聴して居るのを観察した。効果は陶針と似ていた。小生は自分が買うレコードを決して店頭で試聴しなかった。わざわざ竹針でかけてくれる店が無かったからである。
 其の他、戦前から存在したのは、宝石針、角針、タングステン針(前記両端針の考案にヒントを与えた)等である。
 支那事変や大東亜戦争が起らなければ、鋼鉄針、竹針、コロムビア長時間用針から、LP用の宝石針へと移行していたかも知れないが、物資窮乏時代を経験した為に、各種の針の使用を余儀なくされた。それが、幸せであったか、不幸であったかは判断が困難である。然し、其の様な機会に恵まれた事は、まぎれもない事実なのである。
SEO??????????????? 札幌市 クロスカントリースキー