蓄音機・SPレコード雑学

1.蓄音機の発明
 音を入れ物にしまっておき、好きな時に取り出して聞きたい。
 この人々の願いから1877(明治10)年、アメリカの発明王エジソンが
 世界初の録音・再生機「フォノグラフ(Phonograph)」を発明しました。

 この機械は、銅製の円筒に錫箔を巻き付けたものを手で回転させ、
 振動板につなげた録音針を錫箔に押し当てて、溝の深さを音の強さに応じて
 変化させることにより音を記録させるものでした。
 円筒形の錫箔の部分は後に蝋をかぶせるようになりこれを蝋管と呼びました。

 10年後、エミール・ベルリナーは円盤状の硬質ゴムを回転させ、渦巻き状
 に溝を刻む方式を考案しました。これが、今日のレコードの原形となった
 ものです。

2.日本にやってきた蓄音機
 1879(明治12)年、イギリス人ユーイングによってはじめてエジソン蓄音
 機が日本に紹介されました。円盤式蓄音機が作られるようになると、外国の
 レコード会社が吹き込み装置一式を持って来日し、日本の音楽を録音した原
 盤を本国へ持ち帰ってレコードを作り、日本ではそれを輸入して販売してい
 ました。こうした中1909(明治42)年、日米蓄音器製造株式会社が日本初
 の円盤レコードと円盤式蓄音機の製造をはじめました。

 その後、電気吹き込みの方法が開発され、再生にも応用されて電気蓄音
 機(電蓄)が登場ました。

3.レコードの役割
 1891(明治24)年、国産第1号の蝋管レコードが作られました。
 当時は、はやり歌、演説、声色(こわいろ)などが吹き込まれました。
 各地の祭礼や縁日にも蓄音機が現れ、レコードは東京の文化を地方へ広める
 大きな役割を担うことになりました。

4.SPレコード
 SPは、Standerd Playing[スタンダード・プレイング]または、Short Playing
 [ショート・プレイング]の略。回転数は1分間に約78回転に統一されていました。

 素材は、シュラック樹脂(ラックカイガラムシの分泌物から得られる天然樹脂を
 精製したもので絶縁材として用いられるもの)を主体としており、直径25cmと
 30cmの2種類がありました。

 日本では1903(明治36)年、アメリカ人技師が日本の芸能を録音して
 アメリカでレコードを作製し、「平円盤」と名付けて発売されたのがSPレコード
 のはじまりでした。

 当初は片面盤だったSPレコードはすべて両面盤に切り替わり、片面3〜4分
 の録音時間も長時間レコードの出現により5倍以上にのび、電気吹き込みレコードが
 登場するとレコード産業は順調に発展の道を歩み始めました。
 1963(昭和38)年、製造中止となるまで、浪花節、流行歌、演説をはじめ
 映画説明、語学、戦時中には軍歌などあらゆる分野の音がSPレコードになりました。
 

5.レコードプレイヤーの時代へ
 第2次大戦後、ビニール樹脂製のレコードが登場すると再生機にも変化がみられ、
 SPからLPへの移行期となったこの時期は、両方に使えるものが作られました。

 音を入れ物にしまっておき、好きな時に取り出して聞きたいという素朴な 
 願いから生まれた蓄音機でしたが、しだいに単に音を再生するだけでなく、
 より忠実な音響の再生(ハイ・フィデリティ=ハイ・ファイ)が求められるようになり
 「蓄音機」という言葉も使われなくなりました。

 しかし、現在も繁栄を続けるオーディオの歴史上、蓄音機はその原点といえるでしょう。

6.LPレコード
 LPはLong Playing[ロング・プレイング]の略。  
 1948(昭和23)年、アメリカで従来のレコードに比べ溝幅が1/3、ビニール樹脂を
 材料とした長時間レコード(33 1/3回転)が発売されたのが始まりです。
 日本では国産のLPの他、1分間に45回転のレコード(ドーナツ盤)、
 演奏時間の長いEP(Extended Playing)レコードが加わり、雑音が少なく、
 割れにくいレコードとして注目を集めました。

 その後、ステレオレコードが発売された頃には日本の音響技術は世界のトップレベル
 に達しており、国民生活においてもレコードは不可欠なものとなっていましたが
 年々増大し続けたLPレコードの生産も貸しレコードの影響を受けて1978(昭和53)年
 をピークに減少し始め、夢の(?)オーディオ「CD」の時代へと変化していきました。


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